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2011年1月1日
あけましておめでとうございます! 『濱田貴司オフィシャルサイト』http://www.hamadatakashi.com 仮オープンしました。 今年も皆様、どうかよろしくお願いいたします!!
こちらで
Twilog ⇒ http://twilog.org/hama_0x0806/nomen 結局、ツイッターのログなのですけど。 発言をうまくまとめておいてくれるみたいなので、一気にご覧いただけます。 ツイッターは140文字っていう制限がいいですね。 これなら、毎日書けそ。
ライブから一週間経ちました。
連絡が遅くなってスミマセンっ! ほんとに、たくさんの人達が訪れてくれたことにまず驚きと、感動を頂きました。 いろいろトラブルがあって慌てふためいたライブでしたが…。 演奏中は、とても手応えを感じてました。 やっぱ、ちゃんとやんなきゃね。 作家としての活動が軌道にのりつつありますが。。。 一時停止してでも、今月は自身の活動についてじっくり考えぬきたいと思います。
来週末は、ひさびさのライブ出演です。
俺がユニットでもバンドでもなくライブやっちゃうなんてね。 高校生以来だ。 やるからには「なるほど」っていうのやりますよ。 でも、なによりね、ひさびさにみんなと会えることが一番うれしいのよね
arp(www.arpweb.jp)のサウンドパーツにて。
今回は、時間のページがめくられるように、一つのモチーフが変化していくようにして作りました。 お芝居も、過去と現在が行き来するお話です。 本当に面白いですよ。絶対におすすめ。 劇団K助第13回公演 タイトル 「PINK」 http://www.k-suke.jp/stage.html 作・演出/金沢知樹 ◆場所 恵比寿・エコー劇場 JR恵比寿駅西口/東京メトロ日比谷線恵比寿駅1、2番出口より徒歩5分 東京都渋谷区東3-18-3 エコービル2F TEL:03-5466-1575(公演当日のみ) ◆ストーリー それは物語 ピンクの電話にまつわる物語 50年経つ、ボロアパート 廊下にはピンクの色の電話機 踊り出すような嬉しい知らせも 身を引き裂かれる悲しい知らせも 自分の人生を指し示す知らせも 住人達が待ち続けた声を ずっと伝え続けてきた これは物語 ピンクの電話にまつわる物語 ◆日程 2010年6月8日(火)~6月14日(月) ◆料金 前売/4000円 当日/4200円 (全席指定) 電子チケットぴあ [Pコード 403-409] ゲッティ Confetti(カンフェティ) 0120-240-540(受付時間 平日10:00~18:00) 問い合わせ 090-2426-6599(制作/萩森) ◆キャスト Kいち 斉藤誠人 サコイ 春海四方 福山聖二 松野太紀 森本亮治 山本匠馬 相原美奈子 兎本有紀 広澤草 皆口裕子 渡辺奈緒子 山口芙未子
arp(www.arpweb.jp)のサウンドパーツにて。
とにかくシンプルに。 だけど記憶に残って。 懐かしく。 ささやかに、力強く。 そういう曲を目指して作りました。 この曲、いつかコンピュータのシュミレートじゃなくて、生のストリングスに差し替えてみたいです。
Twitterにも書いたのですが。
次、この芝居の音楽します→http://www.k-suke.jp/stage.html 脚本読みましたが…むっちゃ面白いです。 やり甲斐あるなぁ。こりゃ。 今んとこ、こことTwitterでのみ発言してますが。 そろそろちゃんとブログしよっかな。ここ、このまんまじゃ、中途半端だもんね~
今更、とにかく始めてみようと思います。
俺と同年代以上の人には少し抵抗がある人が多いような感じがするけど。 大人ぶって外から眺めていても仕方がない。 とりあえず、内側に立ってみよう。 嫌になったらやめりゃいいんだ。 idは「hama_0x0806」です。 名前も本名でやります。
arpが解散してひと月ほど経ちましたが。
あれ?まだ、そんなもんかっていう感じがします。 少なくとも3ヶ月は過ぎた気がする。 10年やってきたことが終わるんだから、一ヶ月くらい骨休めをしてもいいかなぁなんて気持ちもちょっとは浮かんだんですが、この時間を休憩にあてるか、準備をするかの違いは、僕の人生にとってとっても大きな差になってくるように思えた。 そもそもそんなに休憩って必要ないよね。必要なのはリフレッシュなんであって。 3月20日のライブが終わってすぐに、神戸に帰った。 一日、生まれ育った町を20年ぶりに歩いてみたくて。 想像以上に興奮した。 思い出そうとして思い出すことと、目の前にして思い出すことはまるで違う。角を曲がるたび、そこには小学生や中学生のときの自分が残像となって現れる。そしてその様子は、一つ一つ、僕がどうして今音楽をやっているのかの答えになっていた。 あの頃、ほしくてしょうがなかったものを手に入れるため。あの頃、絶対に持っていたものを、この手に取り戻すため。僕はきっと音楽をやっているんだなぁと思う。 きっと誰にもコンプレックスや嫌な記憶ってあると思うんだけどね。僕にとって中学時代は本当にそういうものの塊で。いつも、あそことの相対距離で自分を測ってしまうとこがある。 今の自分の好きなところは、中学時代から変わった部分 今の自分の嫌いなところは、中学時代のまんまの部分 てな感じで。 だから、あの頃の自分を破り捨てるようにして前へ進もうとしてたときもあった。 だけどね。僕はとにかく音楽作りという、一つのことをこれまでやってきて。追い求めていく中で、あの頃の自分とは繋がっていない、新しい自分というものが生まれてきた。 そうか。 僕が、あの頃、ほしくてしょうがなかったものって、この先に存在するのかもしれない“自分”…なのかもしれない、かもしれない。。。だから、もっと頑張らなくちゃいけないなってね。 それともう一つ。 新しく生まれつつある自分というのは、あの頃の自分を破り捨てることなく、紐解いていく力を持ってる。 コンプレックスや嫌な記憶を、自信といい思い出に変えてくれる。 そしたら、なんだか、昔と今が交じり合っていく感じがしてきてね。 ピッコロみたいに、もっと強くなれんじゃないのかって。 だといいなぁ。 ゴテンクスの失敗したフュージョンみたいになんなきゃいいけど。 でもとにかく。 よし。 やるか。 という感じです。 新しいバンドの音は、最強のメンバーと、最高のスタッフに支えられ、日々、模索中。 でも、簡単にはいかないね。そりゃぁ、この時期が一番大事なんだもん…と今の自分は思う。arpのときは、ここをがむしゃらにやっちまった。後で整理できてなくて、最後まで困った。ほんとに。 あとは、いろいろとお仕事しているのですが…こういうのって時期がこないと言えなかったり、確認が必要だったりして面倒なんですが、書ける範囲で。 この一ヶ月は ゲーム機を作っている大手電機メーカーや、電球用ソケットの生産から始まったらしい大手電気メーカーのCMとかイベントの音楽作ったり… 大先輩と、お墓の前にはいない風の歌で有名なオペラの方のオーケストラのプログラミングのお仕事をしたり。 昨年に亡くなったエンターテイナーのキングのカバーアルバムのラスト曲の弦アレンジをさせていただいたり。 他にも、あっちゃこっちゃ。やれるだけのことを。 あ。これは言っても大丈夫だ。“P”s(http://www.nano-square.com/pis/)という芝居の音楽をやります。5/25~5/30が本番です。一昨日、本読みだったんですが。なかなかのもんですよ、これは。しっかりやらねば。 あ。これは言っちゃダメだ。でもちょっぴり。女性アーティストのプロデュースをすることになるかもしれないです。やるとなったら一人の人生に大きく関わることなんで命がけでやんないと。 完全にオーバーワークなのはわかっているけど。 やれない自分認められないので。 やり遂げてみせたいです。 特に、こんなとこまで読んでくれている人には 2010.4.28 濱田貴司
arp最後のライブが終わって、まだ4日しか経ってないんですね。
もう、ずいぶん前のような気がしてます。 だけど、ふとしたときに寂しくなったりして。 今日、あるお仕事で作曲をしていたデータを保存しようとしたら、前回に保存したフォルダが表示されたんだけど。「E:\ActiveData\arp\まぶた」って出た。バックアップをとっていない近々のデータは、その「E:\ActiveData」というフォルダに入れてあって。いつだってその中に「arp」というフォルダは常に一番上にあった。その「arp」をバックアップに移動して。何年かぶりに「arp」がなくなった。 なんだか少し、胸が苦しくなりました。 まぁそれでも、だからって心に穴が開いたとか、そういうことはありません。 arpで学んだことは僕の中でしっかりと生きているし、arpで出会った人とは今でもちゃんと繋がっている(と、僕は思ってる)。 僕は昔から、今が楽しいより、明日が楽しそうなときのほうが幸せです。 旅行に行くことより、旅行先で何をするか調べてるが楽しいし、着いてからよりも、向かっている電車の中が好きです。 だから早く次のことを始めて、新しいことに取り掛かりたい。 そのほうが、みんなが喜んでくれるっていうことも、絆を強く出来るということも知ってる。 再会は、そんなにすぐってわけにはいかないだろうけど。 そのときの喜びは、きっと解散ライブのときに感じた郷愁とは比較にならない感動だと思うんだよね。 だから。 思い切り頑張ろうと思います。 濱田貴司 P.S.: 「完全」の中で披露した「藍の街」は3/28まで http://www.arpweb.jp/ai で観れます!
本日、arpの解散について、オフィシャルサイトで公式発表がありました。
いつも大勢の人たちから暖かい応援と励ましを頂いていたのに、自ら道半ばで身をひいてしまうことを大変申し訳なく思っています。 でもそれ以上に、みんなには感謝の気持ちでいっぱいです。 arpの活動の中でとっても嬉しかったことの一つは、僕らの音楽を楽しみに聞いてくれる人と、同じ時間を一緒に生きている実感が持てたことです。みんなは、家族や仲間、あるいは中学時代のクラスメートのような、そんな特別な存在です。 今更こんなことを言うのもなんなんですが、曲を作るとき、ライブを作るとき、みんな一人ひとりの“今”を想像していました。そしてそれが精一杯やれたとき、みんなはまたその何倍もの気持ちを、僕らに返してくれた。そんな関係を実感できたとき、僕は心から幸せな気持ちになれました。 気がつけば11年もの間、arpとして活動してきました。 僕個人としては、圧倒的に長い時間でした。 数少ない…だけど生涯忘れることの出来ない幸せな体験と、無限に連なった心の底から苦しいことでいっぱいの11年でした。悩み、喘ぎ、弄り、盗み、学び。目の前は何も見えないけど、信じている方向へにじり寄る日々。でも、やっぱり頑張った自分は、自分のものなんですよね。酷く精神的に病んでしまっていた頃もありましたが、そこから大きく回復するきっかけになったのも、また頑張ったことによってのものでした。 そんなふうに過ごした時間のおかげで、今、音楽家のプロとして力を得ることができたのだと思います。幸い、僕はまだ音楽をやらせてもらえるみたいです。 arpには心残りが正直あります。 僕は、もう一度やってみたいと思います。 arpを始めたころ。僕はまだなんにもできなかった。 今できることは、たくさんある。 あの頃、僕は一人でした。 でも、今は、みんながいてくれます。 あん朱は元気です。公式発表は形式上、大袈裟に映るかもしれませんが、僕も経験してきた道だからわかりますが、あん朱は元気です。僕は、生涯の仲間として、家族として、彼女が幸せになってくれることだけを願っています。そのためにできることは、なんでもしたいです。あん朱は、ずっと背伸びをしてきたと思うから、今は両足の裏をしっかりと地面につけるときなんだと思う。彼女は生涯、歌を歌うべき人だと思っているから。いつかまた、歌を始めるときがくると信じています。そんときは、たった一人の為に歌うんてでもいいじゃないか。そのときが来たら、みんなに報告したいと思います。 しばらく、みんなの顔が見れないのはすごく寂しいことですが、一つ終わるということは、一つ始まるということ。 重ね重ね、自分達の思いだけでarpを終わりにしてしまうことを、とても申し訳なく思っています。 だけど、できればまた共に、新しい一歩を踏み出せてもらえたら。 きっとまた、今度はもっとワクワクできる時間が、向こう側で待っている気がするのです! 本当に、これまで支えになってくれて、みんな、ありがとう。 11年もやれたのは、聞いてくれる人、会いに来てくれる人がいてくれたからです。 そして、 できれば、 どうか、これからも、ずっと 2010.3.12 濱田貴司
arpの解散にあたって、僕にとって大きな心残りがありました。
多大な力で応援してくださった関西方面のメディアの方々…そして何よりもイベントに足を運んでくださった皆様に、ちゃんと挨拶できずに東京で解散ライブをやっておしまいにしてしまうということ。そして、学生時代一番音楽に憧れを持って暮らしていた神戸の街なのに、一度もライブハウスで演奏をしていないこと。 解散まで本当に残された時間のない中、僕の無理な希望を、また最後の迷惑をかけつつ実現していただくことができました。そんな理由から、3/10(水)19:30~という微妙なタイミングになってしまいましたが、ご都合の合う方は是非いらしてください。 duo「完全」には入りきらなかった曲をやったりもします。チェロ百瀬郁子さんも同行してくれます。 挑戦は忘れて、解散ライブをやりたいと思っています。
オフィシャルサイト、メールマガジンにて、arp解散の発表がありました。
そこに至った経緯や理由について、これまで応援してくれた皆さんに対して説明したいのですが、いろいろと手続きに時間がかかっておりまして、まだお話しすることが出来ません。大変な失礼を、どうかお許しください。 ただ、あん朱も僕も大変元気です。 前向きに日々を暮らしています。 もちろん、もめたりもしていません。 正式なメッセージは、もうすぐ発表させてもらえると思いますので、もう少しだけお待ちください。 僕は、ファイナルライブとなった「完全」の制作を始めています。 arpのライブは、最後まで“挑戦”です。 これまでで一番すごいライブにするつもりです。 そして、もう一つたけ。 僕にとっての音楽はarpが終わった後も続きます。 ここから始まるんだ。 そんな気持ちです。 3/20は僕にとって最後の日であり、始まりの日です。 濱田貴司
このブログがいったいどこへ向かっているのか。自分の中でわからなくなってきました。
始めは、みんなと子供の頃の価値観やものの見え方について語り合いたかったのだけど。いつの間にか、個人的な幼少期の記録になってしまって。 そうなっていった理由は、そもそもブログというものの存在感や機能について、見誤っていたからなのだけど。 その中でも意味を見出そうと試行錯誤していくうちに、そんなふうになってしまった。 ただ。 その中で発見や喜びはあって。 一緒に遊んでくれた人たちとは、また何か考えて楽しめたらなぁと思ってます。 疑問を持ちながら行動できるタイプではないので。 一旦停止します。 未アップの書き溜めておいた150個のネタがちょっぴり寂しそうだけれど。 だから、方向を見つけて、またやりたいなぁという気もする。 …というわけで。 ちかいうちまた遊びましょう。 コメント書いてくれた人。 日々、見てくれていた人。 ほんとうに、ありがとうございます!
非常に個人的に、一時、高層マンションからの落下ダーツにはまった。
10階から、地面に置いてある的にめがけて、ダーツをおとすんだ。 すんごいスピードで落下するダーツは、アスファルトにらくらく突き刺さった。 ある日、通りすがりのおじさんにボロクソに怒られた。 なにがそんなにいけないんだろ…? と、あんときは いや。 いかんだろ(笑)
けんかっ早い子って、何が理由でそうなっていくんだろう。
力が強いから。 それももちろんあるんだろうけど。 もっと違うことがきっと、おうちの中にあるんだ。 親の気が短いから。 だったらうちだってそうだった。 でも、僕はけんかなんて苦手だった。 むしろ自由すぎて我慢したことないから? 会話が少なくて、自分の気持ちがうまく話せるようになれないから? いつも一人で、ほんとはいつも寂しいから? とにかく 何か大きな理由が、きっと、おうちの中にあったんだ。
非常に個人的に、一時、走り去る電車にタッチする遊びにはまった。
ある日、駅員さんにボロクソに怒られた。 仕方なく、走り去る車にタッチする遊びに切り替えた。 ある日、わざわざ車をバックしてきてまでボロクソに怒られた。 なにがそんなにいけないんだろ…? と、あんときは
女の子って、ずーっと、ずーっと、ゴムとびしてたなぁ。
毎日。 何時間も、ずーっと。 でも、男子はたぶん生涯で一回もやったことないよね。 なんだろ。この壁。 あれは… どういう遊びだったんですか?? 楽しむポイントとか。今更ですが、誰か教えてください。
電車の中で、そういう筋らしき人がタバコを吸ってた。
もちろん電車は禁煙。 でも、これ見よがしに大またあけて椅子に座って、ぷっかーという具合に。 みんな見てみぬふり。 だって、神戸でその筋の人って言ったら。。。さ。 お父さんが、さーっとそっちへ歩いていった。 これはまた大変なことになる。 あぁいうとき、どっちが正しいか悪いかなんて関係ない。 僕の血も、さーっとひいた。 「おい。ここ、どこやと思とんや。」 でた~、、、 終わった。 と思ったら。 「はい!すみません!!」 で。お父さんも、すーっと帰ってきて。 お父さん、もちろん、そういう組織に所属したりはしてません。 だけど…改めて、ぞっとした。安心したけど、ぞっとした。
小学校1年生のとき。
放課後、教室で遊んでで。 ほうきでチャンバラしてたら。 バリン! その瞬間、大きくて立派な花瓶が床でバラバラになってた。 友達2人と僕は、もう、この世の終わりというくらいショックだった。 なんとかしなくちゃ… 俺は 「セロテープでもとに戻そう!」 と言った。 「うん!」 2人もうなづいてくれた。 花瓶の破片を拾い集めて、組み立てはじめた。 だけど、なかなか噛み合う破片を探し当てるのは難しくて。ようやくみつかっても、濡れた破片はなかなかセロテープでひっついてくれなくて。 外が暗くなってきて。 「もう、あかん…」 「先生に言いにいこ…」 なにをされても仕方がない。 そんな覚悟で先生を呼びにいった。 先生が教室にやってきて。 先生は、半分くらいセロテープで組み立てられた花瓶を見て。 大爆笑してた。 ? ? ?(ガキんちょ3人の頭の上に浮かんでたと思う) 記憶はそこまでなんですけどね。なんでか。
僕が生まれてすぐに、ランランとカンカンというパンダが日本にやってきた。
実際に見る機会はなかったけど、テレビにはしょっちゅう映っていたし、おもちゃはもちろん、食器とか、洋服とか、歌とか、いろんなとこにランランとカンカンはいた。 むくむくしてて、ころころしてて。 のんびりしてて。 で、あの模様。 かわいいのと、不思議なのと。 でも、突然、ランランが死んじゃった。 テレビでも、特別番組が放送されるくらい大きく扱われた。 初めて思った。 2人だけ、日本に来て、すっごく寂しかったんじゃないかなぁ…って。 そして。 ほんのすぐ後に、カンカンも死んじゃった。 ランランに会えるねという気持ちと、ごめんねっていう気持ちと。 僕は、カンカンが死んだ日、「今日、絶対に夢の中でランランとカンカンに会おう」って決めた。 布団の中で、一生懸命に祈った。 「会いたい」って思ってもきっとダメ。「ランラン、カンカン、二人また会えてよかったね」「日本になんか連れてきてごめんね」って祈り続けた。そしたら、届く気がしたんだ。届けばきっと会いにきてくれる。 なかなか眠れなかったけど。 夢の中で、三人で遊びました。 ずーっと。 子供ってすげぇなぁ…
「ねむれよい子よ 庭や牧場に
鳥も羊も みんな眠れば 月は窓から 銀の光を そそぐこの夜 ねむれよい子よ ねむれや」♪ モーツァルトの子守唄 お母さんが二段ベットのとなりでいつも歌ってくれた。 大人になって聞いたのだけど、一般的なものより、なんとか一風変わった子守唄を選んだんだって。 その熱意むなしく 僕には 「眠れよイコよ 庭山牙に」♪ と聞こえており。 「イコってなんだろう…」「庭山に牙…」 と。なんとなくドラクエっぽい冒険の世界をイメージしてしまってました。 なんてことは、まだお母さんは知らない…
旅行先のトラブルで、うちにお昼頃着くはずが、夜遅くになってしまうことになった。
こういうことって、ワクワクしちゃう。 もっともっと何か起こればいいのにって。 そんなとき、おじいちゃんがボツリ 「50年間一度も行かなかったとなかったのに…」 ものすごく落ち込んでるのがわかった。 この日、選挙があったの。 50年間一度も欠かさないこと。 おじいちゃんをこんなにも落ち込ませること。 選挙ってそんなにすごいもんなんだなぁ。
小学生低学年までの間、いろんな遊びはあったけど、花形はやっぱり野球だった。
草がぼうぼうに生えた空き地で、石やダンボールをベースにし、ゴムのボール、棒きれ、そんなんでもなんとか野球をしようとしてた。 だけど、あんまり楽しいなと思ったことない。 やらされてたのかな。 近所のお兄ちゃんたちに。今思えば、お兄ちゃんたちには王・長島っていたんだもんな。 そっか。
数字を覚えたばっかりの2歳の僕は、テレビのチャンネルを変える係りだった。
ひだりのダイアルはVHF、みぎのダイヤルはUHF。 ひだりのは1から12まであってガチャガチャ変わる、みぎのは58とか64とか大きな数字があってゆっくりまわる。 ダイアルは簡単にスポっと外れるようになっていて。 いつのまにか、なくなった。 それから、テレビの上にはペンチがおいてあった。 だんだんスイッチを入れてすぐに映らなくなってきて。 映ってもなんか色がへんだったり、ゆがんだりしていると、「バン!」と横を叩く。そんなんでけっこうちゃんと見れるようになる。 「おい、こら、映れっ」とか言いながら、バン!バン!
あぁ
恍惚 なんと神々しい存在であったか お子様ランチ 自動車や新幹線の器に ハンバーグ、オムレツ、チキンライス、ゼリー、ヤクルト、、などのアイドルたちが勢ぞろい そしてなんと言っても 高くそびえたつ国旗! あぁ
おばあちゃんには、戦争時代の話をいっぱい聞かせてもらった。
おばあちゃんは僕が大人になるまで元気でいてくれたから、僕も聞きたい話はほとんど聞けた。 おばあちゃんも、僕が大きくなるほどにいろんな話をしてくれたんだよね。 印象的な話はいくつもあるけど。 おばあちゃんは12人兄弟の上から2番目で。 みんなの手をひいて逃げ回ったって。 でも、おばあちゃんが一番哀しそうに話したのは、繊維工場で、小学2年生から住み込みで働いてた日のこと。お母さんに、家族に会いたくて、毎晩布団の中で泣いたって。 大東亜戦争のときは、もうおじいちゃんと結婚して子供も二人いて。 とにかく、神戸の町は空襲がよくあって、焼夷弾の恐ろしさとか話してくれた。 でも、一番おばあちゃんが恐そうにしてたのは、1トン爆弾のこと。15キロくらい離れたところに落とされたらしいんだけど、家じゅうのガラスが割れたって。あのときはもう駄目かと思ったとか。 そしておじいちゃんが、(たしか)東南アジアから中国へ戦線移動になったときの話。 九州に一旦寄港し、鉄道で新潟まで移動したあと、中国へ向かうことになった。 神戸を通過することになる。 それを知ったおばあちゃんは、子供二人の手を引いて通り過ぎる電車を見に行った。 会えるわけない。みつけられるわけない。 なのに、目が合った。 親子3人、泣きながら、ちぎれるくらい手をふったって。 いろんな話、してくれたなぁ。 それでもやっぱり、もっと聞いておけばよかったなぁ
事情があって、うちに、ひいおばあちゃんが暮らしていた時期があった。
小学校2、3年生のころだったと思う。 ひいおばあちゃんは、お母さんの、お母さんの、お母さん。 昔の話をいっぱい聞いた。 だけど、なんだか学校やテレビで聞いたいた話とはちょっと違ってたりして。 ひいおばあちゃんはいつも「戦争に勝ってな」って言う。 うーん。ひいおばあちゃん、間違ってるなぁと思ってた。 でも、あれ?って。 よーく聞いていると、それは日清戦争、日露戦争の話だったんだ。 それに気がついたときは「わー!!!」って思った。 タイムマシンに乗って、歴史の向こう側の人と会っているような感じ。 ひいおばあちゃんは、たしか、明治一桁生まれだったのね。つまり周りの大人はみんな江戸時代生まれってことで。 ちょんまげの人のこととか。 みんなまだ靴はいてなかったこととか。 へーっ へーっ ですよ。 もっともっといろんなことを聞いておけばよかった。
まったく自慢にならないけど。
僕は、小学校、中学校時代の夏休みの宿題を、ほとんど提出したことがないです。 そんなやつ、同学年の中でも僕以外に何人かしかいなくて。 先生たちに目をつけられてた。同級生からも、ちょっとおかしな目で見られてた。 そのわりにテストなんかはまぁまぁできたんで、先生から呼び出されて「おまえみたいなやつを俺は絶対認めない」なんて、わりとショックなことを言われたりもした。 でもね。 どうしてもよくわかんなかったんです。 文字をびっしりとただ書いたり、絵も、読書感想文も、理科自由研究も、ドリルも。 なんでやんないといけないのか。 テストでいい点数をとるためだって言われたって…。将来のため、いい学校に入るためって言われたって…。 それが僕にとってなんなのか、よくわかんなかった。 実は、目的が明快でないものに対して行動できないっていうのは今もまったく変わってないです。。。 夏休みも後半。 ツクツクボウシが鳴き始めると。 今年もまた先生たちにむちゃくちゃ言われるんだろうな。友達にも軽蔑されるんだろうなって憂鬱になった。 でも。 夏休みの宿題をやることは、どうしても嫌だったのです。 困ったやつだ。 まったく。
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